医療法人社団溝口デンタルオフィスの溝口先生にインタビューをしました。
歯医者になろうとしたきっかけは?
父も歯科医師ですし、以前は診療所と自宅が同じ建物でしたから、毎日楽しそうに患者様と話しながら仕事をしている父の姿を見て、いいなぁと感じました。患者様の子どもたちも家に招き入れたりして、一緒に遊んだりしていました。
私が歯科大学を卒業した頃は臨床研修制度などはなく、最初から開業医の下に就職することができましたので、何軒か歯科医院を見学した中から、埼玉県の医療法人霞仁会 田村歯科に勤めました。そこで一般の歯科診療の基礎を先輩に叩き込まれました。在職中に予防歯科の講演会に行く機会がありました。予防歯科について、当時はまだ認知度も低く、会場はガラガラでした。 しかし、現在でいうリスクマネジメントの観点から、予防という学問がこれから大事になると強く感じました。
私が歯科大学を卒業した頃は臨床研修制度などはなく、最初から開業医の下に就職することができましたので、何軒か歯科医院を見学した中から、埼玉県の医療法人霞仁会 田村歯科に勤めました。そこで一般の歯科診療の基礎を先輩に叩き込まれました。在職中に予防歯科の講演会に行く機会がありました。予防歯科について、当時はまだ認知度も低く、会場はガラガラでした。 しかし、現在でいうリスクマネジメントの観点から、予防という学問がこれから大事になると強く感じました。
その中で、歯科用レーザーが出てきて、このエネルギーを用いた治療法はすごいなと感じました。できるだけ薬を使わずに治せたり、何日もかかる傷が早く治ったり、痛みが一瞬で消えたり。
ただ、最新の治療法でしたから大学で教わっていなかったので、いろんな業者に連絡を取りました。器材を貸してください、使わせてくださいとお願いしました。そこから少しずつ使いこなせるようになり、一歩踏み込んだ世界に入っていきました。
ただ、最新の治療法でしたから大学で教わっていなかったので、いろんな業者に連絡を取りました。器材を貸してください、使わせてくださいとお願いしました。そこから少しずつ使いこなせるようになり、一歩踏み込んだ世界に入っていきました。
歯科の中でも技術革新があったんですね。
研究を重ねているときは大変ではありませんでしたか?
研究を重ねているときは大変ではありませんでしたか?
一方でプロのジャズピアニストとしても活躍されていますね。
幼いころからクラシックですがピアノを習っていて、診療所と自宅が一緒だった頃、練習している音が待合室や診療室にもれていたりして、いつでも患者様に聞かれていると思って弾くのが好きになり、今に至っています。ホテル日航金沢で基本的に金曜日の夜演奏していますので、お越しいただけると嬉しいです。
これからの夢は?
新しい歯科のカタチを目指されていますね。
基本はアナログなんですよ。新しいことをやっているように見えるのですが、目線は極めてアナログです。
患者様の人生を尊重しながら、当医院の方法をいろんな方々に評価していただく。訪問診療の場合には、ご家族の方にももちろんご意見を伺います。
しっかりとしたシステムを築いていきたいと思っています。
患者様の人生を尊重しながら、当医院の方法をいろんな方々に評価していただく。訪問診療の場合には、ご家族の方にももちろんご意見を伺います。
しっかりとしたシステムを築いていきたいと思っています。
お父様の時代の歯科診療所と同じく、患者様と蜜にコミュニケーションをとっていく、という気持ちが強いんですね。今も現役で活躍されているお父様から歯科医師としてのDNAが引き継がれていると感じます。
ありがとうございます。
父は大学の30年先輩です。父に言われてとても嬉しかったのは「同じ歯科医師でも、30年も経てば同じことを教わっているはずがない。だからやりたいスタイルでやればいい」と、医院の主体性を私に一歩譲ってくれたことです。金沢に戻った当初に言われたので背中を押してもらいました。大変感謝しています。
父は大学の30年先輩です。父に言われてとても嬉しかったのは「同じ歯科医師でも、30年も経てば同じことを教わっているはずがない。だからやりたいスタイルでやればいい」と、医院の主体性を私に一歩譲ってくれたことです。金沢に戻った当初に言われたので背中を押してもらいました。大変感謝しています。
訪問診療に力を入れ、患者様一人ひとりの人生を見つめ、その人に合ったケアをしていきたい。より良い歯科診療サービスを提供するために、最新の設備や技術を取り入れていきたい。より良い歯科診療サービスを提供するために、最新の設備や技術を取り入れても、患者様とは開院以来変わらない、思いやりを持った優しい関係を築いていきたい。患者様のQOL向上のために日々模索する溝口院長からは、歯科医師魂を感じました。